技術

生きがい論は若者に通用するか
技術屋は「なる」ものではなく、「気がついたらなっていた」ものだと思う。寝ても起きても設計や実装が頭の片隅でうごめいているようなアブナイ奴でないと、馬鹿馬鹿しくてやってられない仕事なんだから。なので「インセンティブがないから技術をやらない」という人は、金融で活躍して貰えばそれはそれでよいのではないかと。


技術というのは目的を達成するための手段であるから、それについて適度に冷淡である、というのはある意味では見識なのだと思う。そんなことを面と向かって言われたら「5歳若かったらぶん殴ってた」レベルで腹が立つとは思うけど、技術に溺れるよりはマシ。


しかし、いまって「これを達成せよ」って明確な目標を設定できる偉い人がどのレベルでもいないでしょう。総理大臣からして「美しい国」だからなぁ。科学者と違って技術者は方針がないと動きようがないですから。


第二次大戦中、明確な目標を与えられなかった海軍航空技術廠がなんの役にも立たなかったのと、ガダルカナルでボロ負けした後に「安く早く作れて、でも時代に即した駆逐艦が欲しい!」という無茶を言われて、それでも従来より高性能で安価で建造期間が1/4(戦中の疲弊した造船所で!)の松型駆逐艦を設計した艦政本部、という事例を忘れちゃいかんよなぁ。

大和なんて正直どうでもいい船*1をお涙ちょうだいの映画まで作って持ち上げ、松型については綺麗さっぱり忘れ去る、というところに日本の病理が現れていると思うぞ。

*1:高度な管理者と技術者をかき集めて従来の拡大改良型を作る平時のプロジェクト、それって失敗する方が驚くわい。