JavaがCOBOLになる日
コメントいただきました。
最近のJava界隈、ご指摘のように、「ガチのビジネス用言語」って感じです(いっちゃわるいけど、ポストCOBOLじゃん・・・^^;)。登場初期のあのわくわく感とは、ほどとおい存在に・・・。
わたしがCOBOLに触ったのは、オフコンの落日が明らかになり、同時にWindows3.1/95が登場してきた時期でした。その時点でのCOBOLでの仕事というのは、
- SEが過去のコードをかきまわし、
- 使えそうな部分を抜き出す。
- 足りない部分を見つける。
- プログラマが足りない部分を書く。
- コーダが昔のコードを修正する。
- とりあえず無理矢理結合してみて、
- 動かない部分を直していく。
- 動いた時点でとりあえず納品しちゃう。
使いまわせるコードはだいたい50%くらいだったでしょうか。似たような仕事が多かったので。
このころはコーダーとして徹夜ばかりしていました。その時点でC言語が普通に使えていたわたしには「考えるな!」という仕事は拷問に近いものがありましたが、それにまして先輩社員の危機感はすごいものでした。
下からはわたしのような'''「COBOLなんて時代遅れ」'''という生意気な若造が入ってくるし、上からは'''「COBOLだ!COBOLこそが仕事だ!」'''といわれ、新しいものには手出しさせてもらえないし。
このように仕事が見事な閉鎖系として完成すると、そのコアを担っている人(というは大体において技術的にも優れている)のストレスがものすごいことになっていきます。来る日も来る日も代わり映えのしない仕事。いや作業と云うべきでしょうか。
最近のJavaってこの仕事の回し方にとても近い感じ。コーダが日本人から海外に移ったりしてますけど。
ちなみにわたしが退社するまでの2年間に、6人いた先輩プログラマは2人になっていました。みんなよその会社にいってしまわれました。
この仕事にはこの人が不可欠だ!という人をその場に置いておいてはいけない。
そのような人物にはもっとふさわしい仕事を与えるべきだ。
という趣旨の有名な言葉*1があったと思います。これをやらないとですね、徹夜明けの判断力が低下したときに「あっちがふさわしそう」とか「ここは俺の居場所じゃない」とか勝手に思いこんで、突然会社を辞めちゃったりする。
なので「Javaは金を生む。だからコアな技術者は全部Javaに注ぎ込んでいる」という会社さんは、お互いの身のために、JavaをCOBOL化させないために、ぜひご注意いただきたい。
理想を云えば、金儲け仕事を7,8割。2、3割は新しいことをしたいかなぁ。
ハンガリアン記法の誤解
誰かが、どこかでシモニイの論文を読み、「タイプ」という言葉が使われていたため、それがクラスのような、タイプシステムや、コンパイラのタイプチェックというときのタイプ(型)を意味するのだと考えた。これはシモニイの意図していたことではない。シモニイは「タイプ」が正確に何を意味するのか注意深く説明しているが、それも救いにはならなかった。ダメージは為されてしまった。
ああああああああ。
今の今まで誤解していました。ごめんよチャールズ・シモニイ。変数名にkindを付けるのがハンガリアンなのね。元座標がsX,sYで転送先座標がdX,dYとか。それなら納得。というか普通に使っています。今日からわたしもハンガリアン。